Sunday, September 23, 2007

ソウル・ガーデン (Soul Garden)


始めに肉を食べやすいサイズにチョキチョキ切る。

私の誕生日に同じオフィスで働く房子さんからいただいたお誕生日祝いの贈り物に ソウル・ガーデンの食券をいただいたので、主人と出かけていった。前から試してみたかった、 ブルゴギともうひとつの肉オーダーして、ジュージュー焼きとなった。
見よ!このよだれのたれそうな、顔。。。。


この肉はカルビかな?よくわからなかったけど、ブルゴギよりも高かったし、お店の人のお勧めだった。 やっぱり、おいしかったよ。口でとろ~、ってとろけるって感じだった。ほら~、おいしい臭いがしてきたでしょ~。 やっぱり、韓国料理やめらまへんなぁ~。


主人と話してたのだけど、この日は店に団体様が入っていて、大忙しだったようだ。受付にいたオーナーらしきホストのおじ様が、ニコニコして案内してくれたが、いつも親切にしてくれるウェイトレスも、この日はちょっといらいら気味の様に見えた、というか、別にサービスが悪かったわけじゃなかったけれど、なにか、ホストのおじ様もちょっと顔が引きつって、店中の雰囲気が緊張気味だったようだった。ちょっと放っておかれてしまったのは、「あれ~」っかんじだったけど、でもおいしいお料理を出してくれて、味に満足だったので、すっかり二人はそんなことも忘れて、お腹をさすりながら店をでていったのであった。ソウル・ガーデンさんがこのまま味を落とさないで、がんばってほしいと、なぜか応援したくなった夜だった。。。。

Thursday, September 20, 2007

おばあちゃんと唯 - 幸せのひと時



見よ、この二人。。。まず、悩みはなさそうだね。。。。

修養会 2007


今年の修養会も神様の祝福を受けて、すばらしい修養会とされたことは本当に感謝だった。130名の参加となり、多くの人たちが、祝福されて帰っていかれた。年に一度しか会えない人もたくさんいる。新しい人もたくさん参加されて、多くの出会いもあった。人は人に影響されて生きる。お互いに支えあって生きてるんだな、ってことがひしひしと身にしみてくる。たまに会えるだけでも、お互いにどこにいても祈りあえるのは神様を信じる者の特権、その祈りは、遠くても、近くても、しっかりと神様が祈りを聞いてくだり、届けてくださる。神様は限りない大きな愛の持ち主だ。神様を信じてから、心のどこかで安心していられるのは、だれか、どこかで私達のことを祈ってくださっている人たちがいて、私達は力を得ることが出来んだと確信することが出来る。私達のことを真剣に考えて、祈ってくれる人たちのことを思うと、本当に心が熱くなってくる。その人たちが誰であれ、多くのものは返すことは出来ないけれど、その熱い思いを伝えてくださる神様と、私達を覚えてくださっている人々に感謝し、彼らも同じように、心の熱さを覚えることができ、祝福され、心の愛がいつもうるわされていることを祈りたい。。。。


ヤコブの手紙 / 5章13節

あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。

ヤコブの手紙 / 5章16節

だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします
。

Sunday, August 26, 2007

松本ゆかちゃん到来!

Yukaちゃん(左下)は日本で主人と同じ会社に勤めていたのだが、ある日会社をやめ、カナダで留学を決意した。夏休みに入ってからグレハンで一人旅を、ということで、あちこち旅を続けている。ほ~んとに、若いということはすごいと思った。勇気があるよね。そのゆかちゃんが、8月18日(土)にグレハンでラーレーに来るというので、予定を聞いて2時ごろに到着すると始めの連絡があった。ところが、グレハンのバスがキャンセルになったと連絡が入り、夜中の1時ごろに変更なるという。私と主人は、「そっか~、それじゃ、おにぎりとみつ豆でもつくって待ってよう。」ということになり、計画していたところ、またまた、午後に電話があり、またまた、グレハンがキャンセルになったという。ということで、とうとう、すべて計画倒れになってしまった。ゆかちゃんはとても、申し訳なくおもって、「すみません、すみません。」と何度も繰り返していたが、ゆかちゃんのせいじゃなくて、グレハンがいけないんだよね~。なんといっても、アメリカらしいお話だね。残念ながらゆかちゃんと一緒にちょっとしたラーレーツアーに連れて行ってあげることは出来なかったのが残念だったけど、のり子さん(中央)と、やっちん(左上)が一緒にお昼の用意をしてくださって、ゆかちゃんに会える機会を作ってくれた。おいしいお食事を囲いながら、ゆかちゃんが旅のお話や、カナダの話や、日本の話などを聞かせてくれた。無事に会えて何よりでした。
 その後、のり子さんのお宅にゆかちゃんが泊まり、のり子さんと、やっちんが、彼女のお世話をしてくれた。次の日にグレハンにのる予定でラーレーのバス停へ二人が連れて行ってくれたのだが、バスがバス停をスキップしたか何かで、のる事が出来ず、そのままバスを追いかけて、グリーンズ・ボロまでバスを追い越し、やっとバスをキャッチすることができたらしい。
一難去って、また一難とはよくいったもの。一人旅も楽ではないね。。。。。でも、ゆかちゃんはいい人たちに囲まれて、よかったね。今度来るときは、ゆっくりと時間の余裕をもって遊びに着てね。旅の安全を祈っていますよ~。

Wednesday, August 22, 2007

ついに来た唯の引越しの日!

ついにやってきた唯の引越しの日!2007年8月17日は記念すべき唯の旅立ちの日になった。アパートのリビングルーム。お友達の両親が、リビングルームとキッチンテーブルをそろえてくれたので、家の担当はキッチン用品。それでもかれこれ、大金がでていったなぁ~。

茶色とブルーのカラーコーディネートらしい  

 

新しい家具をおねだりしなかった唯、 いい子、いい子

バスルームとウォークイン・クローゼット


 ルームメートのメガンと唯  

この日は朝方がストームが来て雨が降った。少し涼しくなったかと思ったら、午後は105度の暑さ。雨の降っているうちに荷物を最終的にまとめ、お昼から借りてきたチャーチバンにつみ始めた。一人分とはいえ、バンは結構いっぱいになった。チャペルヒルのアパートについたのは3時近かったかな。アパートによってお金を払い、汗をかきながら、へーこら、へーこら荷物を運んだ。7時ごろには荷物も収まるところに収まり、ターゲットとウォールマートにグロサリーを買いに行った。お料理も出来ない唯はやっぱり、インスタント品が多くなっちゃうよね~。昨日電話したら、夕飯はホットドックだったそうだ。。。ああ~、先がおもいやられるね。。。でも、とりあえず、落ち着いたようで。一件落着ってところかな? 私は寂しくない、って思ったけど、2、3日前にやけにシーンとしている家に気づき、主人と唯の話をしてたら、涙が出てきてしまった。。。。最近家は犬のブッチーがやけにかわいがられている。ブッチーも「いったいどういう風の吹き回し?」っておもってるだろうなぁ~。         

Tuesday, August 07, 2007

家族旅行/卒業旅行

Yasushi & Yui

昔主人はサーファーだった。家が湘南に近かったのも助けて、友達と暇さえあれば海へと繰り出していたらしい。この日は唯もサーフィンにチャレンジ。二人でレンタルサーフィンショップへでかけていった。主人は借りてから時間まで海から帰ってこなかった。Yuiは波打ち際までいって、ボードを浮かせて何度も沖へ進もうとしたようだったが、怖いといって20分後には帰ってきてしまった。主人も残念ながらボードに乗ることは出来なかったようで、何十年ものギャップは大きいとちょっとガッカリしていた。




Yuko & Yui



今回は祝卒業旅行もかねての家族旅行だ。8月中旬にはチャペルヒルへと引っ越していく唯とこんなにゆっくりと過ごすことも少なくなるね。まだまだ子供と思っていたけど、いろんなことを自分で考えて、大人として行動することができるようになってきた唯に、度々びっくりさせられる。18歳になった唯に乞う期待だねぇ~。



3Y’s


唯が引越ししてしまったら一番悲しいのは、彼かもね。。。。

Tuesday, July 17, 2007

22ND-結婚記念日

22年目の結婚記念日。。今年はやっとゆっくり迎えることが出来た。去年ブログでも紹介したようにインディアン・トレールNCにある家を売るために指摘されたところを一生懸命汗だくで直していた。YuiはDel Rio Mission Tripに行くために家で待機していたが、結局家からの出発に間に合わず、空港で落ち合うことになったんだよね。毎年何かと、結婚記念日にしなければならないことがあって、まともに結婚記念日を祝ったことがなかった。暇のあったときはお金がなかったしね。場所はお気に入りのライツビル・ビーチ、ばかの一つ覚えみたいに今年はビーチといえばウィルミングトン・ライツビル..近くて私らには最適!今回もブッチーを連れて行って、ウィルミングトンのダウンタウンをいっしょに散歩したりでうれしそうにしていた。。。。と、私達には見えただけかな?あつかったからね~。


これはウィルミングトンのダウンタウン。小さいが、きれいにされていて、小さなお店とかあって、結構たのしい。土日はフレッシュマーケットなどが出るらしい。チンチン電車が走っていたが、古い町並みをいっそう引き立てていた。

遊覧船。この日は時間がなかったので遊覧船には乗れなかった。しらべてみたところ、ディナークルーズとか、ランチクルーズとかいろいろあるらしい。いつか時間のある時に乗ってみたいな。


戦艦カロライナ。船で5分くらいのところに島があって、そこで、この船のことを学べるらしい。前にチャールストンでサブマリンの見学に行ったので、それと似たようではないかと察し、今回は見に行かなかった。

ディナーはシーフードレストラン。街で話題かどうかは知らないが、クーポンブックにのっていたフランチャイズではなさそうなレストランを選んでいってみた。見ての通り、エビフライ、イカフライ、貝柱フライとフライの行列。イカフライは珍しかったので、ちょっと感動したが、味はま、O.K.というところかな、貝柱のフライはやらかくてトロっと口の中でまろやかで、満点だったな~。雰囲気は高級ではなかったが、結構雰囲気を楽しめたから、80点くらいかな?

今回は時間がなくて泳げなかったが、時間を気にすることなく、浜辺を散歩したり、昔話をしたり、そよそよ風に吹かれながらゆっくりと結婚記念日らしい時間を過ごすことが出来た。普段こんな鳥が絵みたいにとまっている風景を見過ごしてしまう毎日、本当に、たまには時間に追われない時を過ごすことって大切なんだよね。普段、昼と夜のすれ違いの毎日を過ごしている私達は、一緒に過ごせたこの時が、一分、一秒貴重で特別な思い出の一ページとなった。

こんな素敵な時間を与えてくれた神様と、My Dear Hubbyに、大感謝!

Sunday, July 08, 2007

卒業パーティー 6/9/2007

30人以上の人々がお祝いに来てくれた。





Party Meal




Guest SingerをJosh(ODBC Music Director)にお願いした。彼のすばらしい歌はお祝いに来て下さった皆さんの心を魅了していた。Joshありがとう。。。



唯たくさんの人たちがお祝いに来てくれてよかったね。

Partyのお手伝いしてくれた皆さん、ありがとう。




唯の卒業式 -6/8/2007

卒業おめでとう!




この日がやっと来たね。



NCSU Raynolds Coliseum





My brother-in-law Sam & My sister Akemi (左)

Amy's fiance' Kevin & My Neice Amy(右)


 バージニアから唯の卒業式のために駆けつけてくれたOrem家とKevin。 Kenは仕事のため来ることが出来なかったが、みんなで食事に行ったときに唯に電話をくれてやさしい言葉をかけてくれたのはSweetだった。Raynolds Coliseumは冷房がなく、ファンだけだったので、45分間と短い卒業式だった。Raleighに引っ越してきたのが4年前、調度、唯が高校に入学する時だった。主人が神学校に入学するために引っ越してきたのだが、唯は引越しに大反対。しかし、神様は同じ中学校から同じ場所へ引っ越す友達家族を与えてくださり、神様が助けてくださったことを感謝したことを昨日のことのように思い出す。あの頃のことを思い出し、唯は、今考えれば、ここへ引っ越してきてよかった、と話しくれたが、唯の私達に対する心の配慮だったのだろう。

 何でも、自分で決断し、車を運転して仕事に行く唯をみていると、とても頼もしい。8月からはChapel Hillのアパートへ住み、コスメトロジー・スクールへ行くが、いったいどうなることかと心配しているが、きっと心配もつかの間、親から離れ、しっかりと学校へ行ってくれるだろうと、確信している。旅立ちは目の前まで来ているよ、唯!しっかりがんぱってね。毎日祈っているからね。  We love you and God Bless you!

Thursday, May 31, 2007

ライツビル・ビーチ

今年のメモリアル・デーは意外とゆっくり出来たので、自分でもちょっと、えっと、戸惑いながら、土曜日に急遽キャロライナ・ビーチのひとつのWritesville (ライツビル・ビーチ)へ出かけていった。話には聞いていたが、2時間ちょっとでほんとに着いたので「えー、近いんだね~。」って改めて感心してしまった。こんなだったら、もっと前から夏でも冬でも来れば良かったっと、ちょっと、後悔した。


とにかく、海に着いたのはお昼頃だった。急だったので、犬をつれて行くしかなく、無理とわかりながら、犬を連れて行ってしまった。着いてから、案の定、犬は4月から9月までは海には立ち入り禁止。と書かれていた。「あったりまえだよね~。」と無理は承知の上で連れてきたのだった。ということで、日帰り予定だったが、せっかく海に着たのに、海に入らないで帰るわけには行かず、急遽ホテル探しが始まった。お店屋さんでホテル街はあると聞いて行ってみた。



ホテルはたくさんあったが、ここなら犬を連れても大丈夫と思えるようなところを何軒か訪ねたが、どこも満室で入れなかった。5件目のホテルを訪ねる前に、家族3人で祈り体制に入り、祈ってから次のホテルへと向かった。






ここが念願のかなったホテル。それでも89ドルだった。犬代は一晩なら要らない、といわれて、Wブレッシングだった。早速神様に感謝を捧げ、犬をホテルに残し、家族で海へ進出していった。





やった!やった!やっと海にやってきた。さっき海の目の前まで来てお断りを受けて不機嫌だったのは吹っ飛んで、さっそくジャプン!白砂で遠浅。細かい貝が波に砕かれたのかたくさん細かい破片があって、体中にくっついた。こんなに細かい貝の破片は浜辺ではあまり見たことがなかったな~。始め水が冷たかったが、だんだんと慣れたら気持ちよかった。

久しぶりに家族でのんびり出来た一日だった。6時ごろ海を切り上げ、ホテルへと向かった。お風呂に入ってからレストランでゆっくり食事をして、ホテルに帰ってから疲れきってしまい、テレビを見ながら眠ってしまった。16日は結婚記念日なので二人でまたこよかぁ~って二人で話した。

Monday, April 16, 2007

アトランタ -サウス・カロライナ その4

 サウス・カロライナで住んだ一番最後の家だ。実はこの前に2件の家に住んでいたわけなのだが、実際に住んでいたその2件の家を見てきたが、はっきり言って、ガッカリした。古くなったことも確かだが、あまり手入れをしていないようだったからである。

 学校の家から移ってドリスとフランの家の近くに私の両親が家を購入したので、一緒に住むことになった。といっても彼らは一年の半分は日本に帰っていたのだが、実は1994年からとあるショっピンセンターにオリエンタル食品店を始めたのだが、2年半あまりで店は閉じることになってしまった。このいきさつはまた、ゆっくりと皆さんに紹介したいとおもう。

 この右の家はノースカロライナのシャーロットに移る前に1年間住んでいたレンタル・ハウスである。商売をたたんだ後ビザもなくこの先どうしようかと、路頭に迷っていた時期である。主人は寿司シェフとしてレストランで働き、私は知人のExpress レストランでパートで働いていた。唯は4年生だった。この家は2ベッドルームで小さい家だが、キッチンのキャビネットの数だけはたくさんあって、お鍋などが余裕でひとつ、ひとつ飾るようにおけたし、カウンターも広く、キッチンの使い勝ってはとても好きだった。裏庭はフェンスで囲まれていて、家には2匹の犬と猫がいたので、この庭は最適だった。雨の降った日は裏庭に出る前のところにランドリールームがあったのでそこに、犬たちの雨宿り場所として使うことも出来たのだ。私たちの必要の満たされた家だった。この家のオーナーもとてもいい人で、家賃を月2回払いに分けてくれたりして親切な人だった。先日訪ねたとき、この家にオーナーが住んでいるときいて、思い切って訪ねてみたら、彼がで出てきた。始めは思えだせなかったようだったが、話しているうちに思い出してくれた。あれから、もう8年、忘れるのもむりないね。 そういえば、唯のハムスターが死んでしまって、フロントヤードに埋めてお葬式をしたのを思い出す。

 サウス・カロライナには1992-1999年までの7年間住んでいた。思い起こせばいろいろなことがあったが、失敗したことも、悲しかったことも、すべて神様が私たちへの学びの場として与えてくださった毎日を大切に心の中にしまってある。失敗したことから乗り越えられて、悲しみが喜びに変えられたことは感謝なことだった。ドリスやフランは神様が与えてくれた私たちの導き手である。人はみな、人の助け無しには生きられない。自分だけで生きてきたと自嘲してしまったら、神様の手はそこには届かない。そんなことをサウス・カロライナにいたときに多く学ばされた。8年たった今も、サウス・カロライナは私たちの大切な、たくさんの思い出の詰まった故郷である。ここで学んだ7年間を土台に今の私たちがあるのだということをずっと胸に覚えていたい。。。。

Wednesday, April 04, 2007

アトランタ -サウス・カロライナ その3

 この丘の上に立つ白い家はカレッジハウジングである。アパートは洗濯機がなかったので、どこか家が空いてないか学校に聞いてもらったらこの家に住んでいた家族が出て行くというので家賃はアパートより少し高かったが、広大な庭と一軒屋というのが気に入って住むことになった。ベッドルームは3つで、お風呂はひとつだったが、リビングとダイニングルームがあって、ダイニングは特に素敵に作られていた。 じゅうたんの色がなんと、真っ赤だったのは驚きだった。田舎の教会のカーペットのあまりをもらってきたのではないかと、ちょっと笑えた。家具が全然合わなかったが、座れればそれでよかった。そういえば、アティックがあって小さな部屋になっていて、お客さんが泊まれるような部屋になっていたシングルベットを2つヤードセールで買って後にとてもかわいい部屋になったが、屋根に近いので暑いのが玉に瑕だったが、後にウィンドーユニットのエアコンを入れてもらったのでよくなった。

  この家には2年くらい住んだだろうか?私の両親も、主人の両親も尋ねてきた。この頃主人はエベネーザー・ウェルカム・バプテスト教会でミュージック・ミニスターをパートタイムで奉仕していた。唯は幼稚園、私は日華USAというケミカルの会社で研究所のアシスタントの仕事が決まり、家から60マイルの距離だったが仕事が与えられたことは感謝だった。唯を主人が学校が始まる前に、幼稚園に連れて行き、私が、仕事が終わったら迎えに行くというパターンだった。大変だったが、一生懸命でなにか楽しかったし、充実していたような気もする。あの頃自分は信仰熱心だと思っていたけど、今考えると、文句ばかり言って、感謝することを怠ってしまっていたのだと思う。車を2台買ったが、私は遠出をするというので、割とましなシボレーのサイテーションという車で、主人の車は一応トヨタだったが、錆びだらけのステーションワゴンで500ドルで近所の人から買ったが、いろいろ直し、直し、結構調子よく走っていた。車の廃棄のにおいがちょっときになったけどね。この車もしばらく乗ってから、学生に格安で売ったが、売れるからすごいと思った。だって、ぼろぼろなのに、学生には関係ないんだね。

  この家の一番好きなところはポーチ。このポーチで週末など休んでいると、道々走っていく車が挨拶していく。始めはなれなくて、主人の知っている人かと思って、何度も「知ってる人?」って聞いたりした。さすがサウス。会った人には挨拶誰でもするんだよ。フレンドリーでいいよね。この家に住み始めてから雑種の犬を飼うことになった。名前はクッキー。新聞で見つけたフリーの犬。たくさんいる中から、一番おとなしい犬をもらってきた。思ったとおり、賢い犬だった。でも、思春期を迎えたときに鎖をつけたまま、抜け出したり、他の犬が遊びに来ていたりしたかとおもったら、案の定、9匹の子犬をしばらくして産んだ。どの子犬もみんなかわいかったが飼いきれないので、新聞にフリーでだしてアダプトしてもらった。何匹かは私の会社の人にアダプトしてもらった。子犬がいなくなってから、クッキーはみんなどこに行ったのか、探している姿が、今でもまぶたに浮かんでくる。。クッキーには酷なことをしてしまったね。 

  もっともっと、たくさん思い出はあるけど、書ききれないのは残念だ。また、いつか思い出しながら書いてみたい。 その4ではちょっとスキップしてサウスカロライナで一番最後に住んだ家を紹介することにする。

Tuesday, April 03, 2007

アトランタ -サウス・カロライナ その2

 金曜日はゆっくりドリスの家で休んで、朝は9時半頃までゆっくり寝させてもらった。フランがまたスクランブルエッグやビスケットを用意してくれていた。少し休んでから、10時半頃から主人が通っていたノースグリーンビル・ユニバーシティー(主人が通っていた頃はカレッジだった)を訪ねた。

 ここに写っているアパートはブレージャー・アパートメントといってカレッジ・ハウジングである。向かって右端の一階がアメリカではじめて家族で住んだアパートである。来る前からドリスとフランがこのアパートに決めてくれて、後は教会のメンバーの人たちがベッドから家具まですべて用意してくれていた。フードパントリーには缶詰や食べ物がたくさん用意されていたし、キッチンには日本から送った荷物がたくさんつまれていた。フランと教会の男性たちが一生懸命運んでくれたのだろう。本当に感謝だった。

 このアパートは意外に広く部屋は2ベットルーム、1バスルームだったが、唯が三輪車を乗り回せるほどの広さだった。日本のアパートから比べるとすっごく広いので来た当時は本当この広さに感動した。7月に着いたので学校の始まる8月の中旬までゆっくりと荷物を片付けることが出来たのを覚えている。家の前は広大な広場になっていて芝生が延々と植わっていた。その先にはハイウェー14があるのだが、当時は1時間に一回くらい車が、ものすごいスピードで過ぎていくくらいで、信号もない。夜になると街頭が数えるしかないので真っ暗。明かりといえば、驚くほどの蛍がクリスマスツリーみたいに見えたのが印象的だった。すごいところだと、都会育ちの私たちは、毎日感動の日々を過ごしていた。

 グローサリーはドリスの住んでいる町まで下っていかないといけないので、30分くらいかかったのが苦痛だったが、アパートには洗濯機が備え付けてなかったので、週末に洗濯物をもって町にでて、洗濯している間に買い物をしたりしていた。たまに夜が遅くなると、帰るのが億劫だった。ヤードセールとウォールマートは毎週のルーティーンのようによく通った。ヤードセールでは唯の洋服をかったり、オモチャを買ったりしたし、ウォールマートでは$の感覚のない私たちは「安い、安い」と何でもかんでもよく買ったものだったが、後になってから、主人と二人で、何て馬鹿買い物の仕方をしたのだろうと悔いた。その頃には5ドルのものも、高いと感じるようになっていたなぁ~。 

 この写真からも見えるが、家の周りはさっきも言ったように芝生一面だったのに、今は裏庭もフロントもみんな駐車場になっていた。このアパートの前にもう一件アパートが建って、景色がずいぶんと変わってしまった。でも、学校に着いて、周りを見渡したら、唯が3歳からプリスクールに通っていたことや、唯の学校の先生が南部訛り強かったために、唯が相当訛っていたことや、主人のリサイタルを見に行ったことや、男子の寮のランドリーに洗濯しにいって洗濯してたら、キャンパス・ポリスがきて、「ここは男子寮だから、女子寮の方のランドリーを使ったほうが安全だよ」、って教えてくれたこととか、いろいろな思い出が思い出されて、胸がいっぱいになってしまった。わたしでそうなのだから、実際にこのキャンパスで勉強していた主人はもっともっと、深い思い出がこのキャンパスにはあるのだろう。 次回はこの家の次に住んだ家を紹介したい。

Tuesday, March 20, 2007

アトランタ -サウス・カロライナ その1

 3月16日の金曜日にアトランタの日本領事館へパスポートを更新したので、受け取りに家族3人で出かけていった。ラーレーからは7時間の道のりだ。主人が仕事から帰ってきて、その足で夜中の2時半に出発した。アトランタに着いたのは9時半ちょっとすぎだったと思う。日本領事館に行ってからパスポートを受け取るまで15分ほどで終わってしまった。7時間もかかって着いたのにアトランタでの用が15分で終わったしまってはつまらないので、どこかでブランチを取ろうということになった。ダウンタウンのあたりを車でうろうろしてなにかおもしろそうなレストランはないか探したが、結局見つからず、お店を経営してるときによく通った栄えた道に出てみたが、お店を閉じてから8年のブランクは大きかったようで、すっかり寂れた通りになってしまっていた。主人と二人ならばコリアンレストランにでも入っただろうが、娘が一緒だったので、結局Chick-fil-Aでランチを取ることにした。もう少しアトランタを楽しめると思っていたが、ちょっとがっかりだったなぁ~。 その後はすぐにハイウェイーに入ってサウス・カロライナへと向かった。

 サウス・カロライナに着いたのは3時半頃だっただろうか。I-85号を南に向かってGreenvilleに入ったときは懐かしくて感動してしまった。ダウン・タウンを通ってみたが、あんまり変化はないようだった。しかし、古い工場が置き去りになっていたのが改装されて、高級なコンドミニアムになっていたのにはおどろいた。
 
  上の写真は残念ながら今回とった写真ではなく、12月にクリスマスに娘家族を訪ねてバージニアにきていた時に、一緒に待ち合わせて食事をしたときの写真だ。今回カメラを出かけるときに忘れてしまい、Dorisの家においてきてしまったので、彼らと写真を取れなかった。左からFran、その横にいるのがDoris。二人は私たち家族がSCに行ったときに、とてもお世話になった御夫妻である。
私たちを本当の子供たちのように扱ってくれて、つらいときは励まし、間違ったときは心から正してくれたりして、本当に彼ら無しではどうなっていたことか、彼らには感謝が尽きないのである。
  
  今回Dorisはマイオスセニア・グラビスという神経の病気にかかってしまって、とてもつらそうにしていた。彼女の症状はビジョンが2重に見えたり、肩の辺りから首にかけて鈍痛があるそうだ。Franが私たちのために食事を用意してくれて、本当にDorisの手となり足となり、彼女の世話や家事などをしていたのが印象的だった。1月からずっとDorisがこの調子なのでFranが疲れてしまわなければいいと、ちょっと心配だった。 でも、その次の週に娘さんがメリーランドから世話をしに訪ねてくると聞いていたので、Franも少しその時にゆっくり休めるだろうと、ちょっと安心した。
  
  彼女は教会で活発に活動していた人なので、この病気にかかってしまってから、運転からなにやら、何でも止めなくてはならなくなってしまい、彼女も非常に自分が惨めに思えてしまい、がっかりしてしまっている。Dorisのためにお祈りを覚えてほしい。。。。。。。。。。SC滞在中の思い出を次回紹介したい。。。。。

Monday, February 26, 2007

人生の節目-カーターさんの退職式に思ったこと....

先日私の仕事場でカーターという方のリタイヤメントのレセプションがあった。彼とは仕事でも一度も話したことはなかったのだが、ペーパー上で彼はトラベルをよくしていたので、名前を見ることは何度かあった。どんな人なのかも全然知らなかったが、オフィスの人たちがレセプションに招かれたので呼ばれることにした。リタイアメントのレセプションは大概その人の経歴や、仕事の功績などがどんなにすばらしいものであったかを仕事で一緒にかかわってきた人たちが分かち合って、「ああ~この人は長い間がんばってきたんだな~。」って「人生の節目がこの人にはやってきたんだな~。」といろんな思いが巡るが、リタイヤする本人にしてみれば、もっと、もっと複雑な気持なんだろうといつも思わされる。よく聞くのは退職した後は、今まで出来なかった家の修理や、孫たちと戯れたりするじっくりした時間を持つことが出来ることは確かで、仕事しているよりも結構細かいことで忙しくなったりするのだろう。夫婦でゆっくりいけなかった旅行を時間を気にすることなく楽しむこともできるだろう。しかし、退職してみてからしかわからない、言葉にならないような、楽しいような、悲しいような複雑な気持になるのだろう。。。。

 今まで何度か人生の節目と言われる結婚式や、退職式、お葬式と出席したことがあるが、カーターさんの退職式は私の心に残るものとなった。彼の家族や多くの友人がこの日のためにやってきたが、印象的だったのは彼の教会の牧師が招かれていたことだ。家族や同僚が彼への思いをシェアーし、彼がどんなにキリストの愛を持った人であったか手に取るようにわかった。特に牧師の発言の中で、彼は、家でも、教会でも仕事場でも同じクリスチャンとしての変わらぬ態度で接していたということは簡単のようで難しいことである。つい、家族の中では気が緩み、外で気負ってきた分を家で脱ぎ捨ててしまい、家で同じ態度をとることはけして容易でないはずだ。しかし、彼の奥さんも、子供も、夫として、父として信仰に基づいて家族に対する愛を忘れずに忠実に守ってきた彼に感謝していることを彼に伝えていたことも印象的だった。、きっと彼もそんな言葉を彼らの口から聞くことが出来たことは大きな恵みだったであろう。彼の家族を含めて親戚や知り合い人たちの口々から出てくる一人一人の言葉は神様からのメッセージのようであった。そこに来ていた人たちはカーターさんの神様中心の行き方を見たに違いない。彼は、最後に聖句で感謝の言葉として閉めていたが、その後祈ればまるで教会に入るような気さえした。私の目からは彼は神様の証人として立派に歩んでいる人に見えた。わたしは自分を振り返り、私は紙の証人として歩んでいるだろか?と心をサーチせずにはいられない気持になった。世の中の常識になんとなくはまってしまって、キリストの証人である自分を忘れてしまっているのではないかと自分を見直さなければとならないと思わされた。そこに来ていた人たちのなかでクリスチャンでない人はきっとぎこちなさを感じていたに違いない。でも、それでいいのだと思った。そうでなければその人たちはいつキリストの言葉を聞くのだろう?いつキリストの証人に出会うことが出来るのだろう?そんな中からどうして彼はそんなにも神様のことを言うのだろう、と疑問に思ったことでもあれがば、それは始めの第一歩だと思う。その疑問から答えが与えられるかも知れないからだ。自分の人生で何度神様をリプレゼントする機会が与えられるだろう?私は何度も、何度も節目、節目にかかわらず、その機会が与えられることと、その勇気が与えられることを祈っていきたい。そして、毎日なんとなく通り過ぎてしまう毎日の中で神様の時間を無駄に使うことなく歩んでいくことが出来るように気を引き締めていたいものである。


神よ、私の心を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て私をとこしえの道に導いてください。 

                          詩篇139:23-24

Wednesday, February 21, 2007

Yuiのこと....

先週の土曜日に娘に連れられて家族でAveda Institute(写真はAvedaのウェブサイトから(http://www.avedachapelhill.com/)というヘアースクールでOpen Houseがあるからといわれて、行くだけでも、ということで行ってきた。彼女は今ヘアーサロンでアルバイトをしているが、サロンで働く人々に影響されたのかわからないが、とにかく美容師という仕事に魅力を感じているようで、歯の矯正にいってた時は、矯正技師のアシスタントになりたいといっていたし、教師になりるのもいいとか、ころころと変わり、今回も美容師になりたい言い出したときも、きっと一時的なことだろうと軽く考えていたのだが、ヘアースクールに行きたいと言い出したときにはちょっと私もびっくりしてしまった。

 母親の私としては、大学で勉強してからだってヘアースクールに行くのは遅くないでしょ、という思いもあったが、主人の考え方はちょっと違っていたので、それもちょっと驚いてしまった。「大学にいっても何になりたいかはっきりせずにダラダラ親に言われたから行くのならば、意味がないから、もし自分でやってみたいということがあったらやってみればいい。」というのが主人の考えだった。その代わり、あきらめずにやり通すこと。という条件がつくのだが。とにかく決断はさておいて、Avedaを訪ねてみた。唯と他の友達と待ち合わせし、学校の係りの人に一緒に見学させてもらった。場所はChapel HillのUNCのすぐ目の前にあって、この建物は前はマイケル・ジョーダンのレストランだったのを改造したそうだ。フロントから入るとAvedaのコスメティックなどの商品が並べられているお店のようになっていた。一般からのヘアーアポイントメントも受けるそうだ。その先は20人から30人くらいの実地研修生が先生の指導を元にお客さんの髪の毛をカットしたりしていた。驚いたことにヘアーカットは研修生がやるせいもあって安くなっているので予約が取れるのは何ヶ月か先になるらしい。そこでお客さんの髪の毛をカットしている彼らの姿は本当に真剣そのものだった。右下の写真がヘアーサロンである。この学校のプログラムは10ヶ月間で終了するが、その短い間に技術はもちろん、Cosmetology,Esthiologyも専門に学ぶ。またサービス業なので人への接し方なども学んでいくようなプログラムにもなっているらしい。

 一通りクラスルームなどを見学させてもらい、なかなかのカリキュラムに感心させられた。主人も一応は先に述べたようなことを言っていたが、目で見るまではやはり確信がなかったようだったが、係りの人にいろいろ説明してもらった後に、いい加減な学校でないことがわかり、安心して学べる環境であることが確認できたのでよかった。学校のカリキュラムが濃いので遊んでいる暇はないようである。学校は火曜日から土曜日までの8時半から5時半までで昼は45分休憩のみらしい。それも、仕事をしているときと同じような環境を学ぶために設定されてるようだ。

 手に職を付けるということは自分のためにもとてもいいことだ、ということをまた新たに思わされた。考えてみたら私には何もないな、とちょっとここで一生懸命学んでいる人たちがうらやましく思えた。たとえば、医者とか看護婦とか、美容師でも、人と接する仕事だからいつもコンフリクトはおきやすいだろうけど、感謝されることもたくさんあるだろうし、出会いもたくさんあるだろう。そんな中で、神様の話しを伝えられるチャンスもたくさんあるだろうということを思うと、オフィスワークの私にはあまりチャンスがないことが残念に思えてしまった。私は前から人と接することは好きだから、その時に何か役に立てるようなスキルを持っていればどんなにいいだろう、って前々から思っていたがその思いがまたよみがえってきた。この学校の生徒の年齢層は17歳から60歳まで広い年齢層の人たちが学んでいるらしい。私も今からでも遅くないぞ、という気にさせられた。多分美容師じゃないと思うけれど、なにか祈って私にふさわしいものを神様に与えていただこうと、そんな祈りの課題もわいてきた。
 
 どう転げても大学を出ていれば就職先は安泰だというステレオタイプの私の考えは見事にくつがえされてしまった。 でも、人間って見たりすることもせずに周りの意見に左右されて頭の中で決めてしまっていることが結構あるんだと、もう一度何かを決める前に自分の頭だけで決めてしまってないかを確認してみる必要があるな、と思わされた一日だった。人生これからの唯がしっかりと勉強し、技術を身に付けることが出来るように祈ってあげたい。それから、その後大学に行くもよし、美容師として働くもよし、彼女がしっかりと神様につながっていることが出来れば彼女の人生は大丈夫。さっき安泰って言ったけど、安泰というより神様から与えられた平安と喜びは大学へ行くから与えられるんじゃなくて、どんな人生を選んでも神様としっかりとつながって生きていくことから与えられるものだということをしっかりと覚えておきたいものだ。

Monday, February 19, 2007

手術の日に。。。

とうとう12月29日がやってきてしまった。。。。といってももう2月も末なので2ヶ月近く前の話なのだが、手術の話に入る前に、あの夏の旅行以来半年近くCafe Carolina休業してしまったことの言い訳けをしなければならない。カメラの調子が悪かったのもあったのだが、忙しさにかまけてしまったことが大半の理由だろう。なんとかいっているうちに、Thanks Givingがやってきて、あっという間にChristmasがやってきてしまった。Thanks Givingあたりからだろうか、主人は首から肩にかけてだるさや肩こりの重症になったような症状を訴え始めた。肩をもんだり、マッサージャーで暇さえあれば痛みを和らげようとしてみたが、一向によくならなかった。「お医者さんに言ってみてもらったら?」と何度か言っては見たが、「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」の一点張りだった。12がつの中旬になってから歩き方が足を引きずるような状態になって、彼もちょっとあせったのだろう。医者に行くことに同意してくれた。それは確かクリスマスの一週間前だったと思うが、行きつけの医者に行き症状を説明しただけで、お医者さんはすぐにMRIをするようにと薦められ、早速次の日に予約をとった。MRIの結果はその日にわかり、医者から電話がかかり、かなりシリアスなのですぐに神経の専門医に見てもらうように告げられ、専門医とのアポをとった。医者にみせたところ、かなり軟骨がつぶれ神経を刺激しているのですぐに手術するように薦められた。明日はどうか、といわれ、クリスマスはバージニアへ行くことになっていたので、クリスマス後の29日に手術を変えてもらった。クリスマス後はずっと会社を休み、いよいよ手術日を迎えた。手術は朝の7時半からと予定されていたが手術前の準備があるので5時半に入った。早速カーテンで分けられた小部屋にあるベットに寝かされて血圧などの検査が始まった。7時ごろになると麻酔の専門医が挨拶しに来て麻酔は手術室で行われると伝えた。時間が来て彼は手術室へと運ばれていった。彼の話しだが、運ばれているうちに意識を失ってしまったといっていた。手術室がどんなだったかとか、全然覚えていないらしい。私と唯はカフェテリアで朝食をとってから待合室に行き、約二時間うとうとしながら医者が来るまで待ち続けた。心配はあまりなかったが、手術中に間違えがおきないことだけを祈り続けた。
9時半ごろだったろうか、担当医のDr. Poisikがスタスタとやってきた。「手術はとてもうまく行きましたし、御主人もだいじょうぶですよ。と告げた。まずは一安心。手術が無事に終えられたことを感謝した。その後、病室へ行ったところ、ちょうど麻酔から彼がさめるところだった。それが上の写真。意識は朦朧としていて目を開けるのもやっとのようだった。腕には点滴がつながり、鼻には呼吸器が付けられていた。調度のどの近くの首から切った後があり、顔半分と首は腫れていた。あまり見たくないかも知れないけど、首の切り口の写真をとったのでお披露目することにする。いかにも痛々しい。。。顔色も血の気がないようだった。一時間ほどしてから、意識もだいぶしっかりとしてきたのか、朝から何も食べていなかったので、お腹が空いたとという一言を聞いて安心した。看護婦からのどが腫れて物を飲み込みにくいので流動食にしたほうがいいといわれたので、飲み物や、スープみたいなものを飲んだが、彼のお腹は満足しなかったらしい。しばらくしてから病院食が出たが、痛み止めで痛さがなくなっていたのも助けてすべて平らげてしまったのでびっくりしてしまった。とにかく、その日は病院に滞在することになった。食事を終えてから、彼は疲れたようで、寝てしまった。彼が寝ている間に、お祈りしてもらっていたみんなに電話をかけて、無事に終えたことを伝えた。なんせ、家族で病院にお世話になったことは私が唯を生んで以来なかったので、上へ下への大騒ぎだった。そんな中で、私が病院に泊まることになったことを聞いた唯は泊まるのに必要な着替えなどをそろえて病院まで届けてくれたりしたのを見て、主人と成長した唯をみて「頼もしくなったね。」と二人で話し合った。
多くの人たちから祈られ、メールや電話で励ましの言葉をいただいたことは本当に感謝だった。人間は本当に一人では生きていけないんだと実感した。お互いに励まし、励まされながら生きているんだということを知ると、生きていることはすばらしいことなんだな、と思った。また、普段健康だった主人が突然手術となり不安な思いがよぎったりして複雑な思いがあったが、神様が私たちをしっかりと支えてくださり、平安を与えてくださっていたことも感謝なことだった。2ヶ月たった今、手術跡もだんだんと目立たなくなってきている。しかし、神経をかなり刺激されていたので痛みはないものの、いまだに痺れを感じたり、まだ多少足を引きずって歩いているのは続いている。ドクターの話によると、人によって異なるが、大概完治することの保障はできないらしいが、80%~90%よくなるまでには半年くらいはかかるのが通常らしい。ま、何はともあれすべて終えられてことを神に感謝したい。

Monday, October 02, 2006

チャールストンーその4 最終日

チャールストン最終日。ヤッパリ休みはあっという間に終わってしまう。 最終日は雨がパラパラ降っていた。雨が降ると夏の緑がよけいに映えてチャールストンを着飾っていた。観光用の馬車はやけにチャールストンの街にふさわしい。海岸沿いに車を止めて公園で一休み。 ガジーボのなかで雨宿りしながら唯とふざけた。 Bootsieも仲間入り。ちゃんとポーズをとってくれた。 サウスカロライナのシンボルといえばパームツリーと三日月。
ヤッパリ南国なんでしょうね。唯はサウスカロライナのシンボルのステッカーをかって自分の車に貼るといっておみあげに買っていた。

チャールストンのおなじみの家々。毎回見てもかわいいお家ばかり。でも、実のところ、古くてリモデルに結構お金がかかるらしいし、家の値段は高くて手が出る値段ではないらしい。でも見るのはただで、申し訳ないね。 また行こうね、っていったらなくだろうなぁ~。

海岸から街中へ入ってチャールストンのダウンタウンの景色を背後に帰路へと向かった。決して贅沢な旅行ではなかったが、4日間も家族だけでゆっくりと時間を過ごす時間が与えられたことは本当に感謝なことだった。何か高価なものをプレゼントされるよりも、私にとってはかけがえのないことだと確信している。仕事、ミニストリー、学生、父親、夫と体を何等分にも分けないといけない主人が少しの間だけど、父親と、夫として私と唯に精神を向けてくれたことも感謝だった。本当はチャールストンは彼にとって何も興味深い場所でなかったと思う。買い物も苦痛だっただろう。でも、家族のために時間を費やして、笑顔を振りまいてくれた彼に心から感謝している。