Tuesday, April 03, 2007

アトランタ -サウス・カロライナ その2

 金曜日はゆっくりドリスの家で休んで、朝は9時半頃までゆっくり寝させてもらった。フランがまたスクランブルエッグやビスケットを用意してくれていた。少し休んでから、10時半頃から主人が通っていたノースグリーンビル・ユニバーシティー(主人が通っていた頃はカレッジだった)を訪ねた。

 ここに写っているアパートはブレージャー・アパートメントといってカレッジ・ハウジングである。向かって右端の一階がアメリカではじめて家族で住んだアパートである。来る前からドリスとフランがこのアパートに決めてくれて、後は教会のメンバーの人たちがベッドから家具まですべて用意してくれていた。フードパントリーには缶詰や食べ物がたくさん用意されていたし、キッチンには日本から送った荷物がたくさんつまれていた。フランと教会の男性たちが一生懸命運んでくれたのだろう。本当に感謝だった。

 このアパートは意外に広く部屋は2ベットルーム、1バスルームだったが、唯が三輪車を乗り回せるほどの広さだった。日本のアパートから比べるとすっごく広いので来た当時は本当この広さに感動した。7月に着いたので学校の始まる8月の中旬までゆっくりと荷物を片付けることが出来たのを覚えている。家の前は広大な広場になっていて芝生が延々と植わっていた。その先にはハイウェー14があるのだが、当時は1時間に一回くらい車が、ものすごいスピードで過ぎていくくらいで、信号もない。夜になると街頭が数えるしかないので真っ暗。明かりといえば、驚くほどの蛍がクリスマスツリーみたいに見えたのが印象的だった。すごいところだと、都会育ちの私たちは、毎日感動の日々を過ごしていた。

 グローサリーはドリスの住んでいる町まで下っていかないといけないので、30分くらいかかったのが苦痛だったが、アパートには洗濯機が備え付けてなかったので、週末に洗濯物をもって町にでて、洗濯している間に買い物をしたりしていた。たまに夜が遅くなると、帰るのが億劫だった。ヤードセールとウォールマートは毎週のルーティーンのようによく通った。ヤードセールでは唯の洋服をかったり、オモチャを買ったりしたし、ウォールマートでは$の感覚のない私たちは「安い、安い」と何でもかんでもよく買ったものだったが、後になってから、主人と二人で、何て馬鹿買い物の仕方をしたのだろうと悔いた。その頃には5ドルのものも、高いと感じるようになっていたなぁ~。 

 この写真からも見えるが、家の周りはさっきも言ったように芝生一面だったのに、今は裏庭もフロントもみんな駐車場になっていた。このアパートの前にもう一件アパートが建って、景色がずいぶんと変わってしまった。でも、学校に着いて、周りを見渡したら、唯が3歳からプリスクールに通っていたことや、唯の学校の先生が南部訛り強かったために、唯が相当訛っていたことや、主人のリサイタルを見に行ったことや、男子の寮のランドリーに洗濯しにいって洗濯してたら、キャンパス・ポリスがきて、「ここは男子寮だから、女子寮の方のランドリーを使ったほうが安全だよ」、って教えてくれたこととか、いろいろな思い出が思い出されて、胸がいっぱいになってしまった。わたしでそうなのだから、実際にこのキャンパスで勉強していた主人はもっともっと、深い思い出がこのキャンパスにはあるのだろう。 次回はこの家の次に住んだ家を紹介したい。

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