Sunday, January 20, 2008

雪の日に。。。

     2008年1月20日(土)。今日は雪が降るよ~、と予報されて、みんな危ないし、道が混乱するなぁ~、といいながら、今回の雪予報はみんな週末ということもあって子供も大人もどこか楽しみにしていたんじゃないか、という風に見受けられた。私もその前の晩から天気予報をみては、雲がどこにあるか、レーダーを確かめたりして、そわそわしていた。土曜の朝起きると、雨が降っているのを確認して、わくわくしていた。食料を買出しに行ってバッチリだった。午後になって唯の学校のあるチャペルヒルに雪がふりはじめたころ、唯から電話がはいった。「学校がクローズになったから、今から行くね~。」といって避難に実家へ帰ってくるとの連絡だった。4時ごろ帰ってきて、第一声は「おなかすいたぁ~。」だった。その頃ラーレーでも雪が降り始め、夕飯をためる前にもしか雪がやんでしまう前にこの写真は撮ったものだ。雪は降ったが、みぞれ交じりで確かにつもりはしたが、期待したほど降らなかった。ご飯を食べ終わった頃、すでに雪はみぞれが多くなって、暇な唯は友達の家へ出かけるといい、危ないからやめなさい。という声も聞こえるや否や、さっさと出かけていった。結局友達の家に泊まることになって、まったく鉄砲玉とは唯のことだ。

     唯が学校に通い始めてから5ヶ月が経ったが、始めの2ヶ月間は勉強バッチリで宿題も多く忙しくしていた。バイトも出来ずにお金もなくて四苦八苦しながらがんばった。3ヶ月目くらいから学校でクライアントを持つようになり、髪の毛を切り始めたことは前にも述べた。授業が週一回になったので勉強は楽になったが、クライアントがあると足が棒になるのに慣れるのが大変だった。疲れて、帰ってきたらすぐ寝てしまうといっていたのを覚えている。4ヶ月目頃からは、それにも慣れてきたのか、前にアルバイトしていた美容院で週一で働くようになった。(クリスマスプレゼントのお金はそれでまかなった。)エライ、エライ。
     5ヶ月目に入った唯に少し変化が見られた。暇さえあれば実家に帰ってき始めたので、どうしたか訪ねたら、ルームメイトとちょっといざこざがあったと告白した。それと同時に、一生懸命に学んで将来の人生に少しでもプラスにしようと取り組んでいる唯とは相違って、他の子達は将来これから、どうするかもわからないけど、とりあえず美容スクールにきた子が多いのに気がつき始め、パッションにかける友達達にも唯はかなりがっかりしてしまっていた。学校に行ってはお昼ごろ電話をしてきては泣いていた。何かしてあげたかったが、高校時代とはちがい、学校の先生に言って解決するようなこととはまったく違っていたし。わたしたちとしても、何もしてあげることができずに、ただ主人と乗り切ることが出来るように祈っていた。そう、唯は世の中にある自分と、これからの自分という問題に面してしまったのだろう。。。。私達もそんな中でがんばっている唯を見守ってあげるだけ、、家に帰ってきたときには一生懸命に慰めてあげて、ハグしてあげた。

     教会のサンデースクールでも、心に解決と安らぎが与えられるように祈ってもらってひたすら答えを待った。
次の週のある日、唯が泣いて電話して来たあと、彼女と話してから、1時間後くらいに祈りが答えられた。唯が泣いていたのを見つけたある生徒が唯に声をかけてくれて、大丈夫か気にかけてくれて、何で泣いているかわからないけど、お祈りしてるからね。」といってくれたそうだ。その時から唯の心に平安が与えられて、次に電話してきたときにはその事情を私に説明して、元伝えた。

     神様はいつでも心配してくださる神様。泣いている神の子を置き去りにされるような方ではない。必ず必要なときに必要な人や物を送ってくれ、私達の心に平安を与える。泣いて、泣いてつらい思いは、決して無駄には終わらない。神様が子を育てるとき、痛みが生じても、それは必ず成長の糧となり、私達の歩みに大きな影響をもたらすという、大きな結論を見出す。


     将来に向けて唯もいろいろと考えさせられているのだろう。あれがいいだろう、これがいいだろうと、一秒一分の決断が迫られる。大人になればなるほど、それはクリティカルだ。そんな重大な選択の中で唯がどの道を選んでいくのか、それは彼女自身決めることだが、その選びが自己中心の決断ではなく、神様との祈りの中から開かれた道を彼女が選んでいくことをこれからも主人と一緒に祈っていきたい。もし彼女がその道を祈りの中から見つけることが出来るのならば、それが彼女にとって一番の進むべき道で、それが彼女のベスト、そして、そこには必ず大きな腕を広げて神様が待っておられるからだ。


神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)

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