Tuesday, December 04, 2007
Amy (姪)の結婚式 -11/10/07
AmyとKevinが晴れて2007年11月10日にVAにあるFounder’s Innにて盛大に結婚式が行われた。Amyはさすが小学校の先生ということもあって、非常にまめに予定を一年前くらいから立て始め、ドレス、ケータリングはもちろんのこと、ベストマンのヘアーカットまで事細かくスケジュールに書きいれ、本当にすべてがすべてうまく行ったようだった。聞いたところのちょっと難点だったのは結婚式場のホテルの部屋のトラブルがあったことくらいで、すべてめでたし、めでたし。200人近くの人々が招待され、多くの人々に見守られた素敵な結婚式だった。
唯はブライダルメールとして参列し、そのほかのブライダルメールとベストマンたちに仲間に入れてもらい、非常に楽しい時間をすごしたようだった。Kevinの妹の髪の毛のセットするを頼まれて、早速彼女の腕がそこで発揮された。まだ学校が始まってから間もないのに、とても上手にできていたので感心してしまった。
この髪型も唯のセット。上手でしょ。
唯の結婚はいつのことやら........なぜか、今から主人のその時の態度が目に
浮かんでしまう。。。。C= (-。- ) フゥー
Sunday, September 23, 2007
ソウル・ガーデン (Soul Garden)
始めに肉を食べやすいサイズにチョキチョキ切る。
見よ!このよだれのたれそうな、顔。。。。
この肉はカルビかな?よくわからなかったけど、ブルゴギよりも高かったし、お店の人のお勧めだった。 やっぱり、おいしかったよ。口でとろ~、ってとろけるって感じだった。ほら~、おいしい臭いがしてきたでしょ~。 やっぱり、韓国料理やめらまへんなぁ~。
主人と話してたのだけど、この日は店に団体様が入っていて、大忙しだったようだ。受付にいたオーナーらしきホストのおじ様が、ニコニコして案内してくれたが、いつも親切にしてくれるウェイトレスも、この日はちょっといらいら気味の様に見えた、というか、別にサービスが悪かったわけじゃなかったけれど、なにか、ホストのおじ様もちょっと顔が引きつって、店中の雰囲気が緊張気味だったようだった。ちょっと放っておかれてしまったのは、「あれ~」っかんじだったけど、でもおいしいお料理を出してくれて、味に満足だったので、すっかり二人はそんなことも忘れて、お腹をさすりながら店をでていったのであった。ソウル・ガーデンさんがこのまま味を落とさないで、がんばってほしいと、なぜか応援したくなった夜だった。。。。
Thursday, September 20, 2007
修養会 2007

今年の修養会も神様の祝福を受けて、すばらしい修養会とされたことは本当に感謝だった。130名の参加となり、多くの人たちが、祝福されて帰っていかれた。年に一度しか会えない人もたくさんいる。新しい人もたくさん参加されて、多くの出会いもあった。人は人に影響されて生きる。お互いに支えあって生きてるんだな、ってことがひしひしと身にしみてくる。たまに会えるだけでも、お互いにどこにいても祈りあえるのは神様を信じる者の特権、その祈りは、遠くても、近くても、しっかりと神様が祈りを聞いてくだり、届けてくださる。神様は限りない大きな愛の持ち主だ。神様を信じてから、心のどこかで安心していられるのは、だれか、どこかで私達のことを祈ってくださっている人たちがいて、私達は力を得ることが出来んだと確信することが出来る。私達のことを真剣に考えて、祈ってくれる人たちのことを思うと、本当に心が熱くなってくる。その人たちが誰であれ、多くのものは返すことは出来ないけれど、その熱い思いを伝えてくださる神様と、私達を覚えてくださっている人々に感謝し、彼らも同じように、心の熱さを覚えることができ、祝福され、心の愛がいつもうるわされていることを祈りたい。。。。
ヤコブの手紙 / 5章13節
あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。
ヤコブの手紙 / 5章16節
だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。
Sunday, August 26, 2007
松本ゆかちゃん到来!

その後、のり子さんのお宅にゆかちゃんが泊まり、のり子さんと、やっちんが、彼女のお世話をしてくれた。次の日にグレハンにのる予定でラーレーのバス停へ二人が連れて行ってくれたのだが、バスがバス停をスキップしたか何かで、のる事が出来ず、そのままバスを追いかけて、グリーンズ・ボロまでバスを追い越し、やっとバスをキャッチすることができたらしい。
一難去って、また一難とはよくいったもの。一人旅も楽ではないね。。。。。でも、ゆかちゃんはいい人たちに囲まれて、よかったね。今度来るときは、ゆっくりと時間の余裕をもって遊びに着てね。旅の安全を祈っていますよ~。
Wednesday, August 22, 2007
ついに来た唯の引越しの日!
茶色とブルーのカラーコーディネートらしい
新しい家具をおねだりしなかった唯、 いい子、いい子
バスルームとウォークイン・クローゼット
ルームメートのメガンと唯
この日は朝方がストームが来て雨が降った。少し涼しくなったかと思ったら、午後は105度の暑さ。雨の降っているうちに荷物を最終的にまとめ、お昼から借りてきたチャーチバンにつみ始めた。一人分とはいえ、バンは結構いっぱいになった。チャペルヒルのアパートについたのは3時近かったかな。アパートによってお金を払い、汗をかきながら、へーこら、へーこら荷物を運んだ。7時ごろには荷物も収まるところに収まり、ターゲットとウォールマートにグロサリーを買いに行った。お料理も出来ない唯はやっぱり、インスタント品が多くなっちゃうよね~。昨日電話したら、夕飯はホットドックだったそうだ。。。ああ~、先がおもいやられるね。。。でも、とりあえず、落ち着いたようで。一件落着ってところかな? 私は寂しくない、って思ったけど、2、3日前にやけにシーンとしている家に気づき、主人と唯の話をしてたら、涙が出てきてしまった。。。。最近家は犬のブッチーがやけにかわいがられている。ブッチーも「いったいどういう風の吹き回し?」っておもってるだろうなぁ~。
Tuesday, August 07, 2007
家族旅行/卒業旅行
昔主人はサーファーだった。家が湘南に近かったのも助けて、友達と暇さえあれば海へと繰り出していたらしい。この日は唯もサーフィンにチャレンジ。二人でレンタルサーフィンショップへでかけていった。主人は借りてから時間まで海から帰ってこなかった。Yuiは波打ち際までいって、ボードを浮かせて何度も沖へ進もうとしたようだったが、怖いといって20分後には帰ってきてしまった。主人も残念ながらボードに乗ることは出来なかったようで、何十年ものギャップは大きいとちょっとガッカリしていた。
Yuko & Yui
今回は祝卒業旅行もかねての家族旅行だ。8月中旬にはチャペルヒルへと引っ越していく唯とこんなにゆっくりと過ごすことも少なくなるね。まだまだ子供と思っていたけど、いろんなことを自分で考えて、大人として行動することができるようになってきた唯に、度々びっくりさせられる。18歳になった唯に乞う期待だねぇ~。
唯が引越ししてしまったら一番悲しいのは、彼かもね。。。。
Tuesday, July 17, 2007
22ND-結婚記念日






こんな素敵な時間を与えてくれた神様と、My Dear Hubbyに、大感謝!
Sunday, July 08, 2007
卒業パーティー 6/9/2007
唯の卒業式 -6/8/2007

この日がやっと来たね。



Amy's fiance' Kevin & My Neice Amy(右)
バージニアから唯の卒業式のために駆けつけてくれたOrem家とKevin。 Kenは仕事のため来ることが出来なかったが、みんなで食事に行ったときに唯に電話をくれてやさしい言葉をかけてくれたのはSweetだった。Raynolds Coliseumは冷房がなく、ファンだけだったので、45分間と短い卒業式だった。Raleighに引っ越してきたのが4年前、調度、唯が高校に入学する時だった。主人が神学校に入学するために引っ越してきたのだが、唯は引越しに大反対。しかし、神様は同じ中学校から同じ場所へ引っ越す友達家族を与えてくださり、神様が助けてくださったことを感謝したことを昨日のことのように思い出す。あの頃のことを思い出し、唯は、今考えれば、ここへ引っ越してきてよかった、と話しくれたが、唯の私達に対する心の配慮だったのだろう。
何でも、自分で決断し、車を運転して仕事に行く唯をみていると、とても頼もしい。8月からはChapel Hillのアパートへ住み、コスメトロジー・スクールへ行くが、いったいどうなることかと心配しているが、きっと心配もつかの間、親から離れ、しっかりと学校へ行ってくれるだろうと、確信している。旅立ちは目の前まで来ているよ、唯!しっかりがんぱってね。毎日祈っているからね。 We love you and God Bless you!
Thursday, May 31, 2007
ライツビル・ビーチ

とにかく、海に着いたのはお昼頃だった。急だったので、犬をつれて行くしかなく、無理とわかりながら、犬を連れて行ってしまった。着いてから、案の定、犬は4月から9月までは海には立ち入り禁止。と書かれていた。「あったりまえだよね~。」と無理は承知の上で連れてきたのだった。ということで、日帰り予定だったが、せっかく海に着たのに、海に入らないで帰るわけには行かず、急遽ホテル探しが始まった。お店屋さんでホテル街はあると聞いて行ってみた。
ホテルはたくさんあったが、ここなら犬を連れても大丈夫と思えるようなところを何軒か訪ねたが、どこも満室で入れなかった。5件目のホテルを訪ねる前に、家族3人で祈り体制に入り、祈ってから次のホテルへと向かった。


やった!やった!やっと海にやってきた。さっき海の目の前まで来てお断りを受けて不機嫌だったのは吹っ飛んで、さっそくジャプン!白砂で遠浅。細かい貝が波に砕かれたのかたくさん細かい破片があって、体中にくっついた。こんなに細かい貝の破片は浜辺ではあまり見たことがなかったな~。始め水が冷たかったが、だんだんと慣れたら気持ちよかった。
Monday, April 16, 2007
アトランタ -サウス・カロライナ その4

学校の家から移ってドリスとフランの家の近くに私の両親が家を購入したので、一緒に住むことになった。といっても彼らは一年の半分は日本に帰っていたのだが、実は1994年からとあるショっピンセンターにオリエンタル食品店を始めたのだが、2年半あまりで店は閉じることになってしまった。このいきさつはまた、ゆっくりと皆さんに紹介したいとおもう。
この右の家はノースカロライナのシャーロットに移る前に1年間住んでいたレンタル・ハウスである。商売をたたんだ後ビザもなくこの先どうしようかと、路頭に迷っていた時期である。主人は寿司シェフとしてレストランで働き、私は知人のExpress レストランでパートで働いていた。唯は4年生だった。この家は2ベッドルームで小さい家だが、キッチンのキャビネットの数だけはたくさんあって、お鍋などが余裕でひとつ、ひとつ飾るようにおけたし、カウンターも広く、キッチンの使い勝ってはとても好きだった。裏庭はフェンスで囲まれていて、家には2匹の犬と猫がいたので、この庭は最適だった。雨の降った日は裏庭に出る前のところにランドリールームがあったのでそこに、犬たちの雨宿り場所として使うことも出来たのだ。私たちの必要の満たされた家だった。この家のオーナーもとてもいい人で、家賃を月2回払いに分けてくれたりして親切な人だった。先日訪ねたとき、この家にオーナーが住んでいるときいて、思い切って訪ねてみたら、彼がで出てきた。始めは思えだせなかったようだったが、話しているうちに思い出してくれた。あれから、もう8年、忘れるのもむりないね。 そういえば、唯のハムスターが死んでしまって、フロントヤードに埋めてお葬式をしたのを思い出す。
サウス・カロライナには1992-1999年までの7年間住んでいた。思い起こせばいろいろなことがあったが、失敗したことも、悲しかったことも、すべて神様が私たちへの学びの場として与えてくださった毎日を大切に心の中にしまってある。失敗したことから乗り越えられて、悲しみが喜びに変えられたことは感謝なことだった。ドリスやフランは神様が与えてくれた私たちの導き手である。人はみな、人の助け無しには生きられない。自分だけで生きてきたと自嘲してしまったら、神様の手はそこには届かない。そんなことをサウス・カロライナにいたときに多く学ばされた。8年たった今も、サウス・カロライナは私たちの大切な、たくさんの思い出の詰まった故郷である。ここで学んだ7年間を土台に今の私たちがあるのだということをずっと胸に覚えていたい。。。。
Wednesday, April 04, 2007
アトランタ -サウス・カロライナ その3

この家には2年くらい住んだだろうか?私の両親も、主人の両親も尋ねてきた。この頃主人はエベネーザー・ウェルカム・バプテスト教会でミュージック・ミニスターをパートタイムで奉仕していた。唯は幼稚園、私は日華USAというケミカルの会社で研究所のアシスタントの仕事が決まり、家から60マイルの距離だったが仕事が与えられたことは感謝だった。唯を主人が学校が始まる前に、幼稚園に連れて行き、私が、仕事が終わったら迎えに行くというパターンだった。大変だったが、一生懸命でなにか楽しかったし、充実していたような気もする。あの頃自分は信仰熱心だと思っていたけど、今考えると、文句ばかり言って、感謝することを怠ってしまっていたのだと思う。車を2台買ったが、私は遠出をするというので、割とましなシボレーのサイテーションという車で、主人の車は一応トヨタだったが、錆びだらけのステーションワゴンで500ドルで近所の人から買ったが、いろいろ直し、直し、結構調子よく走っていた。車の廃棄のにおいがちょっときになったけどね。この車もしばらく乗ってから、学生に格安で売ったが、売れるからすごいと思った。だって、ぼろぼろなのに、学生には関係ないんだね。
この家の一番好きなところはポーチ。このポーチで週末など休んでいると、道々走っていく車が挨拶していく。始めはなれなくて、主人の知っている人かと思って、何度も「知ってる人?」って聞いたりした。さすがサウス。会った人には挨拶誰でもするんだよ。フレンドリーでいいよね。この家に住み始めてから雑種の犬を飼うことになった。名前はクッキー。新聞で見つけたフリーの犬。たくさんいる中から、一番おとなしい犬をもらってきた。思ったとおり、賢い犬だった。でも、思春期を迎えたときに鎖をつけたまま、抜け出したり、他の犬が遊びに来ていたりしたかとおもったら、案の定、9匹の子犬をしばらくして産んだ。どの子犬もみんなかわいかったが飼いきれないので、新聞にフリーでだしてアダプトしてもらった。何匹かは私の会社の人にアダプトしてもらった。子犬がいなくなってから、クッキーはみんなどこに行ったのか、探している姿が、今でもまぶたに浮かんでくる。。クッキーには酷なことをしてしまったね。
もっともっと、たくさん思い出はあるけど、書ききれないのは残念だ。また、いつか思い出しながら書いてみたい。 その4ではちょっとスキップしてサウスカロライナで一番最後に住んだ家を紹介することにする。
Tuesday, April 03, 2007
アトランタ -サウス・カロライナ その2

ここに写っているアパートはブレージャー・アパートメントといってカレッジ・ハウジングである。向かって右端の一階がアメリカではじめて家族で住んだアパートである。来る前からドリスとフランがこのアパートに決めてくれて、後は教会のメンバーの人たちがベッドから家具まですべて用意してくれていた。フードパントリーには缶詰や食べ物がたくさん用意されていたし、キッチンには日本から送った荷物がたくさんつまれていた。フランと教会の男性たちが一生懸命運んでくれたのだろう。本当に感謝だった。
このアパートは意外に広く部屋は2ベットルーム、1バスルームだったが、唯が三輪車を乗り回せるほどの広さだった。日本のアパートから比べるとすっごく広いので来た当時は本当この広さに感動した。7月に着いたので学校の始まる8月の中旬までゆっくりと荷物を片付けることが出来たのを覚えている。家の前は広大な広場になっていて芝生が延々と植わっていた。その先にはハイウェー14があるのだが、当時は1時間に一回くらい車が、ものすごいスピードで過ぎていくくらいで、信号もない。夜になると街頭が数えるしかないので真っ暗。明かりといえば、驚くほどの蛍がクリスマスツリーみたいに見えたのが印象的だった。すごいところだと、都会育ちの私たちは、毎日感動の日々を過ごしていた。
グローサリーはドリスの住んでいる町まで下っていかないといけないので、30分くらいかかったのが苦痛だったが、アパートには洗濯機が備え付けてなかったので、週末に洗濯物をもって町にでて、洗濯している間に買い物をしたりしていた。たまに夜が遅くなると、帰るのが億劫だった。ヤードセールとウォールマートは毎週のルーティーンのようによく通った。ヤードセールでは唯の洋服をかったり、オモチャを買ったりしたし、ウォールマートでは$の感覚のない私たちは「安い、安い」と何でもかんでもよく買ったものだったが、後になってから、主人と二人で、何て馬鹿買い物の仕方をしたのだろうと悔いた。その頃には5ドルのものも、高いと感じるようになっていたなぁ~。
この写真からも見えるが、家の周りはさっきも言ったように芝生一面だったのに、今は裏庭もフロントもみんな駐車場になっていた。このアパートの前にもう一件アパートが建って、景色がずいぶんと変わってしまった。でも、学校に着いて、周りを見渡したら、唯が3歳からプリスクールに通っていたことや、唯の学校の先生が南部訛り強かったために、唯が相当訛っていたことや、主人のリサイタルを見に行ったことや、男子の寮のランドリーに洗濯しにいって洗濯してたら、キャンパス・ポリスがきて、「ここは男子寮だから、女子寮の方のランドリーを使ったほうが安全だよ」、って教えてくれたこととか、いろいろな思い出が思い出されて、胸がいっぱいになってしまった。わたしでそうなのだから、実際にこのキャンパスで勉強していた主人はもっともっと、深い思い出がこのキャンパスにはあるのだろう。 次回はこの家の次に住んだ家を紹介したい。
Tuesday, March 20, 2007
アトランタ -サウス・カロライナ その1

サウス・カロライナに着いたのは3時半頃だっただろうか。I-85号を南に向かってGreenvilleに入ったときは懐かしくて感動してしまった。ダウン・タウンを通ってみたが、あんまり変化はないようだった。しかし、古い工場が置き去りになっていたのが改装されて、高級なコンドミニアムになっていたのにはおどろいた。
上の写真は残念ながら今回とった写真ではなく、12月にクリスマスに娘家族を訪ねてバージニアにきていた時に、一緒に待ち合わせて食事をしたときの写真だ。今回カメラを出かけるときに忘れてしまい、Dorisの家においてきてしまったので、彼らと写真を取れなかった。左からFran、その横にいるのがDoris。二人は私たち家族がSCに行ったときに、とてもお世話になった御夫妻である。
私たちを本当の子供たちのように扱ってくれて、つらいときは励まし、間違ったときは心から正してくれたりして、本当に彼ら無しではどうなっていたことか、彼らには感謝が尽きないのである。
今回Dorisはマイオスセニア・グラビスという神経の病気にかかってしまって、とてもつらそうにしていた。彼女の症状はビジョンが2重に見えたり、肩の辺りから首にかけて鈍痛があるそうだ。Franが私たちのために食事を用意してくれて、本当にDorisの手となり足となり、彼女の世話や家事などをしていたのが印象的だった。1月からずっとDorisがこの調子なのでFranが疲れてしまわなければいいと、ちょっと心配だった。 でも、その次の週に娘さんがメリーランドから世話をしに訪ねてくると聞いていたので、Franも少しその時にゆっくり休めるだろうと、ちょっと安心した。
彼女は教会で活発に活動していた人なので、この病気にかかってしまってから、運転からなにやら、何でも止めなくてはならなくなってしまい、彼女も非常に自分が惨めに思えてしまい、がっかりしてしまっている。Dorisのためにお祈りを覚えてほしい。。。。。。。。。。SC滞在中の思い出を次回紹介したい。。。。。
Subscribe to:
Posts (Atom)